イケスタ - 情熱1分大陸 - ガソリンスタンドで働くスタッフを応援しています

2024.5.19

高1から湘南菱油でアルバイトを始め、卒業してから正式に入社。

経験値を武器に販売実績を上げ続け、人より早くマネージャーに昇進した。


自負心を持って懸命に取り組んだが、期待に応えられず、数年で降格。

今思うと 外的な環境要因を言い訳にして、現実から目を背けていたのかもしれない。


降格を伝えに来た上司が 目をにじませながら言った。

「必ず戻ってこいよ」公私で一番面倒を見てくれた人だった。

不甲斐ない自分がただただ悔しくて…


あれから7年。

ついに旗艦店の責任者を仰せつかった。

これは会社がくれた 最後のチャンスだと受け止めている。


でも二度と期待は裏切らない。

地元No.1のマネージャーとしての誇りにかけて。

【湘南菱油】セルフDD長坂SSマネージャー 矢作 健太郎

2024.5.19

今の私があるのはこの会社のおかげだ。

20歳の時に職にあぶれ、昔バイトしていた縁を頼りに入社を希望した。


負けず嫌いの私は、入社4年で所長をやらせてほしいと会長に直訴。

「とりあえずやってみなさい」その場で了承してくれた。


だが、想像以上に重責で、激務の日々。

周りのメンバーに助けられるたびに、自分一人の限界を知った。


当社には過酷で有名な社外研修がある。

修了後、会長に新たな決意を伝えに行くと、涙をにじませながら聞いてくれた。


私は改めて心に誓った。

仲間と共にイキイキとした未来を描いていこうと。

だから自分の仕事にゴールは定めない。体を張って前進するのみだ。

【金沢石油】スーパーセルフ星ヶ丘統括所長 杉原 勇喜

2024.5.19

16歳で学校生活から抜け出した。

日銭が得られる仕事なら何でもよかったが、次第に車関係に興味を持った。


スタンド、競売場、販売店、買取専門店…。

あらゆる分野に足を踏み入れたが、3人の家族を養うには十分ではなかった。


その頃、冨尾石油と出会う。

骨を埋めるつもりで働き 昇進もしたが、1人で仕事を抱え込んでしまい、パンク。

周りを信用しなかったからではない。本当は人を育てられなかっただけだ。


異業種への転職を一度試みたことがある。でも失敗して気がついた。

経験値こそ最大の財産であり、それを生かし切れない自分がいたと。


少し遠回りしたかもしれないけど、人生は最短で歩むだけが正解じゃない。それを成長という恩返しで証明したい。

【冨尾石油】セルフ中環堺SS店 菊池 翔太

2024.5.19

15歳から社会に出て、いろいろな職種を転々とした。


しかし思い描いていた”自立”は得られず、次第に不安と焦りが募っていた。

本気で正社員を目指そうと、猛勉強して25歳で高卒認定を取得。

だが現実は甘くなかった…


失意のなか、誘われるままこの業界へ。

興味も経験もなかったが、初めての正規採用がただただ嬉しかった。


休みのたびに客のふりをして専門店を訪問。

営業トークや商談の仕方を徹底的に研究した。


真面目とかではない。

こんな私にも研修の機会を惜しまない、

”会社の愛情を”無駄にしたくなかったからだ。


大野石油店には人間的な成長をも育んてくれる、

力強い歴史や風土がある。


亡き父と愛する子どもたちに見てほしい。

挑戦心を持って突き進む私の姿を。

【大野石油店】造幣局前SS店長 田邉 雄一

2024.5.19

祖父の代から親兄弟で営んできた。

親戚が集まると話題は仕事のことばかり。

二代目の次男であった私も、当然のように家業に入った。


あの頃は数字が物言う時代。

自分の存在を周りに示すには、馬車馬のように働くしかなかった。


数々の表彰縦とたくさんの感謝状…

でもそれ自体エゴだったかもしれない。


地域の拠り所としてできることは何か?

今はその答えを探るべく 高齢者宅の御用聞きも行っている。

植木の剪定から部屋の模様替えまで、暮らしの彩りは人それぞれ。


改めて築き上げたい。

お客様の笑顔あふれる

地元エネルギー事業のあり方を。

【渋谷石油】プロパンガス担当 渋谷 昌史

2024.5.19

いらっしゃいませ。

いつも給油していただき誠にありがとうございます。

湘南菱油の辻堂西海岸店で店長をしている伊藤紘之と申します。


私は月に1回 辻堂海岸におきまして自分が発起人となった清掃イベントを開催しております。


コロナウイルスで大変な状況ですから、正直、悩みました。

でも、一国のトップですら政策に迷っているのに、私に正解なんて分かるわけがありません。

何が正しくて何が間違っているのか、分からない時代。

だったら、自分で正しいと思うことを信じてやりぬこう

そう強く思うようになりました。


ガソリンスタンドの店長なのに、いったいなぜ?と思われるかもしれません。

実はもともとボランティアに興味があり、8年ほど前から江の島海岸の清掃活動に参加。

人と人がつながることの素晴らしさに魅了され、時間を見つけては、活動し続けてきました。


スタンドに来てくださるお客様と店員との壁を無くし、清々しい気持ちを共有したい。

そんな思いが募るようになり昨年12月から毎月の清掃活動を広く呼びかけるに至りました。

毎回たくさんの方々にお集まりいただき、本当に感謝しかありません。


マスク越しから励ましの言葉や、明るい笑顔をいただくたびに、

人のつながりがもたらす、エネルギーの力を実感します。


人のために。地域のために。


些細な一歩かもしれませんが、

これからも自分たちにできる”エネルギー発信„を続けていきたい。

そして、地域の方々の心が少しでも明るく豊かになってくだされば、

これ以上嬉しいことはありません。


だから私は、挑戦し続けます。

湘南菱油の一員であることに確かな誇りを持って。

【湘南菱油】特別バージョン

2024.5.19

末っ子気質のまま自由に生きてきた。

高卒で入った製造工場は退屈だったけど、先輩とつるむのが楽しくてダラダラ続けていた。

でも異動先で上司と喧嘩し、退職。昔のバイト先に働き口を求めた。


横着な性格が仕事に出るたびに、加藤社長から何度も厳しく叱られた。

それでも社長は自分たちの成長を願い、研修や勉強会への投資を惜しまなかった。


結婚して子供が産まれ、生活がギリギリに。

すると給料を上げてくれて「その分がんばるんだぞ」と背中を叩かれた。

自分の中で何かスイッチが入った気がした。

猛練習を重ねた接客大会では全国2位に入賞。スキルアップに必要な資格もすべて取った。


最近一番嬉しかったのは、息子がスタンドマンになりたいと言ったこと。

その時は最強の父が最高の笑顔で迎えたい。

【エイワ石油】津島白浜CS店長 杉森 仁誌

2024.5.19

”カッコいい大人„に憧れを持っていた。

自分の中に揺るぎない軸があって、人の笑顔のために仕事を遂行する…

私も自分の価値を自らの手で切り開いていきたいと思った。


厳格な父に厳しく育てられた私は、親と同じ公務員になることを強く勧められた。

理科系の大学に進学して教員を目指すも 断念。一般就職に切り替え、渋谷石油へ入社した。


親に反対されることは分かっていたが、職種や給与で選んだのではない。

自分の理想を追求した結果だ。


入社後は失敗やミスを繰り返した。でも社長は怒らずに静かにこう諭す。

「もっと自分の仕事にこだわれ」と。


オープン初日に物凄い数の祝花が並んだ。これは会長と社長が長年培ってきた信用の証。

そんな贅沢な舞台で挑戦できる幸せ。誰よりもカッコいい大人にこだわり続けたい。

【渋谷石油】新規事業担当 向井 雅之

2024.5.19

18歳でこの業界に入って、40年。辞めたいと思ったことは一度もなかった。

お客様に頼られるのが嬉しくて、トラブルと聞けば時間外でも飛んで行った。


前の勤め先が廃業した時、10数社からお誘いを受けた。

その大半が給油に来ていた法人客。涙が込み上げるほど嬉しかった。

それが今でも私の大切な勲章。


エイワ石油を選んだのは、笑顔あふれるアットホームな社風と

いつも新しいことに挑戦しようとするパワーを感じたから。


以来、いろいろ経験させてもらった。以前の常連さんも未だに足を運んでくれる。

私にできる唯一の恩返し…現場に精一杯の愛情を捧げよう。

感謝の気持ちを次の世代につなげながら。

【エイワ石油】戸田CS店長 大島 兼利

2024.5.19

今や流れるままに生きてきた。

やりたいことが見つからなかった私は、大卒後もぼんやりと日々を過ごす。


それでも友達の影響で車のバイヤーに興味を持つと、

1人で中古車店のようなことを始めた。

従業員を雇い、業績も拡大。

だがリーマンショックで歯車が狂い、妻の実家の実業に身を寄せた。


正直、初めは気乗りしなかったが、

スタンド仕事を続けていくうちにいろいろなお客様と深い関わりが持てた。

結局また”ありがとう„が聞きたくて誰よりも額に汗する私がいる。


自分のなりたい姿が分からず、漠然と何かに追われていたあの頃。

でも振り返ると幸せはいつも足元にあった。

だから自信を持って前に進んでいこう。

【渋谷石油】熊山SSマネージャー 荒島 成利